赤壁の戦いで漁夫の利を得た劉備は、諸葛亮の戦略に基づいて益州(蜀)に侵入し、勢力を伸ばします。劉備の入蜀は、蜀にあった劉璋政権に不満を持つ益州の豪族の張松と司隷扶風(しれいふふう)の名士である法正の画策に呼応して行われました。劉璋の要請により五斗米道(ごとべいどう)の張魯を討つことが、劉備の入蜀の名目とされたのです。今回は、劉備の漢中攻略の策についてお話しします。
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